作編曲家 TATOOのブログ
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プロフィール
HN:
TATOO
性別:
男性
職業:
作編曲家、Keyboards
趣味:
水泳、映画
自己紹介:
本名:多東康孝
(たとう やすゆき)
出身地:北海道
生年月日:19xx年8月9日
身長:178cm
血液型:O型
略歴:
1995年
KAITAのキーボーディストとして
スピードスターよりデビュー。
KAITAの活動を中心にアレンジ、
CM音楽などを多数手がける。
KAITAとして7枚のシングルと3枚のアルバムを発表。
1999年
KAITAはLove Bell Back Lineと名称を変更。
テレビ東京系音楽番組「ソングライトShow!」に出演。
2000年
PAPA X Inc.と契約。
プロデュース活動を開始する。
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17日午前に降った雪は、
1969年に観測して以来
最も遅い降雪記録に並んだそうです。

都心で4月に雪を観測したのは1988年4月8日以来で、
この頃は既に東京に居た私ですが、
全く記憶にございません。

東京での最初の雪の思い出は・・・
浪人生として東京生活を始めた私は、予備校の寮に入り、
以外と地味に(真面目に?)受験勉強に勤しんでおりました。
時代は”バブル真っ盛り”でしたが、
全く恩恵にこうむってないですね。

畳3帖程の個室に籠って・・・
大して勉強してなかった気がするwww。
予備校の授業にはまあまあ出席してたけど。
それよりも、高田馬場の古い映画館で昔の映画を観たり
自室でそれまでは殆ど読んでなかった小説や
思想書などを読みあさってましたね。
「引き蘢りの暗い浪人生」という自分の立場を
”楽しんでいた”のかもしれません。

さて、1年間の努力の成果が示される日、
それは「合格発表の日」。
受験票を握りしめ、貼り出された紙に自分の番号を探し・・・
「あった!!!」みたいなねwww。

何校か受けた大学のうち、
割と手応えがあった学校の合格発表の日、
3月にも関わらず東京には雪が降りました。
「・・・滑る」ったって私の上にだけ降ってる訳じゃなし、
それでも緊張するじゃないですか?
覚悟を決めて寮を出ようとしたその時・・・

玄関には受付があって、
そこにはたまに”寮長”と呼ばれる”おじさん”が座っています。

寮長さん:「あっ、多東くん。おめでとう!」
私:「はい?」
寮長さん:「合格通知届いてるよ」
私:「えっ?(今から合格発表見に行くのに・・・)」

えっ?・・・えええぇーーーっ!?

期待と不安にドキドキしながら掲示板を見つめて、
自分の番号を見つけた時の

「あっ!あったぁーーー!!!」は、
どーしてくれんだよぉーーー!


・・・一応見に行ったけどさ、
「あぁ〜、あるねぇ」にしかなんないじゃん
予備校ったら受験のプロだろ?
もうちょっと気を使え!・・・しくしく

もう1校合格した私立の大学は
補欠合格だったので合格通知のみ。
北海道で受けた国立大学は実家から遠かったので
ラジオで聞きました。

遅い東京の雪を見ると、
その時の「不完全燃焼”感”」が呼び起こされて、
何だか「おセンチ」になってしまう私なのでした


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こんばんは~
あぁ~、随分とコメントさぼっちゃってすみませ~ん(^_^;)



17日の福岡はポカポカでした、少し暑いくらい?

この間拾った猫ちゃん連れて病院行きました、


ポケットに入れて(笑)、胸のポケットに入るくらいちっちゃいんですよ(^0^)/




あまり勉強してなかったんですか!?

またまたご冗談を、受かったんですからf^_^;



勉強といえば、やっとこさレポートとスケッチの課題が仕上がりそうです!、これがあるからなかなかコメントが・・・


・・・はい、言い訳でございます(笑)、

このレポート多分ホッチキスでとまらないくらい分厚いんですよネ、業務用買おうかな~



はっ、脱線してる!?


寮長さんナイス!( ̄▽ ̄;)
2010/04/18(Sun)02:48:36 編集
合格発表の掲示板
…といえば、県立高校の受験時を今でも思い出します。

既に「すべり止め」として受験していた私立高校からは合格通知をもらっていました。その私立高校の合格者へは受験者のいる中学校へ通知が届くようになっていたので、「なんで県立受験したらわざわざ掲示板まで見にいかなくちゃならないの?」と心理的な負担感を覚えておりました。
結局その掲示板に自分の受験番号はなく、受験で全力を使いくたびれていた思春期の心身には堪えました。

そんな経験があったから、大学へは推薦入試を受験して入学することに早くから決め、実行しました。一般入試だったらまた掲示板まで見に行かなければならなかったはずです。20数年前の話ですよ。

まあ、もっとも今の時代であればそんなことしなくともいいのですが。
2010/04/18(Sun)03:13:52 編集
思ひ出
しんげん@Y
私の大学受験した頃っていうのは、受験者数最多記録更新みたいな感じでとにかく人が多かったですね。なので、学校の勉強以外のことに興味を持っていた私は一回で志望の学科に行くことを、なんか諦めちゃって。でも、別の方法を考えてたんです。それは「転部」。大学に合格してから二年間、転部に向けて勉強しました。好きな科目ばかりだったので苦にはならなかったですけどね。そして、推薦による合格発表の日、残念ながら私の名はなかったんです。いくつか成績の悪かった科目があってそれが尾を引いてしまったようですね。そして次に一般試験。多くの学生が試験に来ていて、私も、自分の今まで努力した成果を出し切るように試験を受けました。そして、合格発表の日。この日は冷たい雨だったか、雪も交じっていたかな。とても寒い日だったのは覚えています。A4用紙一枚で張り出された合格発表用紙。「次の者は面接を受けに来なさい。」そして一名の受験者の名前がありました。

しんげん@Y(名前は仮名ですw)

いや、ほんと。高倍率のお受験というよりは、一等前後賞、年末ジャンボ宝くじに当たったような満足感いっぱい。寒さなんかどこそこへ。カメラケータイとかデジカメとか、そんな物はまだ無かった時代なんで記念写真なんか手軽に撮れなかったのは残念ですね。
面接っていっても、授業では良く話をしている先生達との雑談でした。「なぜ転部したのか、転部した後どうするのかっていう話」でしたね。面接は難なく終了し、晴れて転部して、希望の学科に転入しました。

めでたしめでたし。


・・
・・・
という訳には簡単な話には続きませんで、転部するとそれまで取得した単位の一部が削られてしまうので、それを取り戻さなければならなかったんです。片道三時間かかるキャンパスまで週一通ったり、レポートを週に何冊も提出したり。それはまた寝る暇を極限まで削った大変な日々がさらに二年続き、気がついたら卒業でした。

仕事が大変なときは、その頃を思い出すようにしています。いくら大変でも、あの時、出来たじゃないかって。

久々の長文、失礼しましたw

# 理系って文系のような遊ぶ時間をなかなか作れないような思い出があるのですが、TATOOさん、どうでした?
2010/04/18(Sun)13:30:10 編集
ちなみに
tokuhisa
その寮はなくなって今はマンションが建ってましたが近所の桜はいまもそのままです。
2010/04/18(Sun)15:05:47 編集
それぞれ・・・
TATOO
やっぱり、色々な「受験体験」があるんですね。
コメント、有り難う御座いましたm(__)m。

tokuhisaへ

数年前に私も見に行きました。
”その節”は相談に乗ってもらって有難う!
いつかまた飲みに行きませふ♪
2010/04/19(Mon)02:27:07 編集
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