車移動中にラジオを聞いていたら、
リスナーからパーソナリティーに質問が。
その方は最近活躍されている”なんちゃら評論家”で
オタクカルチャーや現代の情報社会に精通しています。
リスナーの質問は・・・
「将来英語を使った職業に就きたい、
なので今から3年掛けて英語だけに特化して
習得しようかと思うのですが」
といった内容。
まあ、普通なら「そう思うならやったらいいんじゃない?」
って答えますよね?
でもその評論家の方は・・・
「確かに英語を使った職業に就きたいのなら
英語を勉強するのはいいと思うけど、
今では翻訳ツールが発達してきたので、
翻訳はそういう道具を使えるのだから、
3年英語だけに費やすのは時間の無駄。
むしろ人間として成長する方が
将来的には自分の為に”なるかもしれない”」と。
うーーーん、それはどーかな?
翻訳にしろ会話にしろ、
自分の頭で咀嚼してから「伝えたい」という
気持ちを持って話す言葉と、
アプリが自動的に翻訳した文章や文字や音声では
根本的に何かが違う気がします。
それと似た話しで、
まだまだインターフェイスに改善の余地はあるとは言え、
現在ネットが補助記憶装置として
人の思考や情報伝達の役にはたっていますが、
感情や論理的思考の”傍ら”、
つまり脳内の記憶として頭に入っていなければ
本質的な人間の”進化・発達”にはならない気がします。
ネットやアプリが進歩して、
はたして人は進化するのか退化するのか。
どっちなんでしょうね?
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