荘子の思想を表す代表的な説話として
「胡蝶の夢」がある。
「荘周が夢を見て蝶になり蝶として大いに楽しんだ所
夢が覚める。
果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、
あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」
私が十代の頃、非常に感銘を受けた2つの作品、
「うる星やつら2・ビューティフルドリーマー」
(映画)と「星の時計のLiddell」(漫画)
共にこの「胡蝶の夢」のエピソードに
少なからずインスパイアされた作品であると思う。
哲学的な事に入れ込んだのでは無く、
何かこのはっきりしないフワフワとした浮遊感が
バリバリ理系の私の頭をほぐしてくれたのが
心地よかったのかも。
「荘周が夢を見て蝶になったのか、
あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」
荘周であることも蝶々であることも究極的には
ひとつのことだが、現実的にはハッキリ区別される。
現実はあくまで現実であり、夢はあくまで夢。
あるいは逆に今ある荘周が蝶々の見ている夢であったとしても、
やはり蝶々と荘子が区別されることに変りはない。
しかし、1つの事象を2つの方向からアプローチーする事で、
そこから新しいストーリーが導き出せるのではないか。
植樹祭の為にZANと作った曲に仮タイトルを付ける際に
ふと思いついた「森の見る夢」。
人々が思い描く理想の”森”の姿ではなく、
”森”が夢見る人々との共存の世界・・・。あっ!
その時、いきなりリンクしてしまった・・・。
アーティスト若しくはプロデューサー発のコンセプトに
作家(アレンジャー)が音を作るのが通常のプロセスだとすれば、
逆に作家がプロデュース的観点を抜きにして
己が思いのままアーティストに歌ってもらう曲を「夢見る」
と(今まで自分が感じていた物と)
違った音楽が作れるかもしれない。
そうだ、ソロアルバムを作ろう!(爆)
プロの作編曲家として活動を始めて9年になる。
その間、色んな人から「ソロアルバムを作れ!」と
何度となく言われて来たが、
その都度
「名前も知られてない”裏方”がアルバム作るなんてカッコ悪い」
とか
「特に作りたい音楽もない」
とか
言ってはぐらかして来たが、
それはそれで嘘じゃない。
いきなりなんです。
作りたくなっちゃった(笑)。
こんな感じで始めたんです。
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